「心の旅」というと、まさに歌や小説のタイトルという感じですよね。挫折、苦悩、葛藤を乗り越えて生きる歓びや感動に出会うといったストーリーを連想する方もいらっしゃると思います。
今回お話しする内容はそんな大げさな話ではないのですが、まだ若く人間的にも未熟だった私が、旅の途中で初めて”人の情に触れた体験”ということで、「心の旅」というエッセイにしてみました。
「さあ、北海道へ!」 青春の旅!!
19歳。その頃の私は、多くの若者と同じように、親や先生という”大人”の教えに時折反発しながら社会の不条理・不合理に不満を感じながら人生を模索していました。
大学進学を機会に親元を離れ、だれもが味わう「これで自由だー」という感覚になったのも束の間、しばらくすると、「一人暮らしも大変..」、「これまで親の世話になっていたのか..」などしみじみ思ったり。
そんな時、「よし、何か新たに発見しよう。自分を見つめなおす旅に出よう!」と思い立ち、いろんなバイトに精を出し、貯めこんだ金を手に北海道への旅だったのでした。
なお、せっかく貯めたお金なので経費節減のために、いざという時に野宿できるよう寝袋、テントをかついでの旅となりました。
どこへ行く?何をする? 決めないまま.. 自由旅の歓び !
それまで、どちらかというと内向的な性格で行動範囲も狭くあまり冒険もしないタイプ。その反動でしょうか。どこに行くかもきめないまま、”自由に彷徨う”というわけのわからない理想のもと、行程宿泊先も決めぬまま旅は始まりました。
始めはどうしても青函連絡船で北海道に上陸したいという思いで、旅のスタートは函館からとなりました。以降は、その日の気の向くままルートを決めた結果、鉄道、バスを乗り継いで 室蘭~札幌~深川~遠軽~北見~網走~知床~弟子屈~根室~釧路~襟裳~日高~苫小牧 と ほぼ北海道の真ん中あたりを横断したあと南部を廻る旅となりました。
その間、初めての自由旅の体感、思い切って地元の人や旅人に話しかけて触れる人情など、旅の素晴らしさを味わうことができました。そして、何よりも函館山、洞爺湖、札幌周辺、層雲峡、知床半島、摩周湖、納沙布岬、襟裳岬など北海道ならではの雄大な自然に触れ心がすっかり解放されました。そのことは、今でも初の”旅の歓び体験”として、私の心に残っています。
困った… さあ どうする? 旅は続くのか!?
ほぼ北海道の中南部を巡り一段落ついた、そんな苫小牧での宿。(確か「さわだ」という民宿?今はもうないだろうな..)これまでの旅を振り返り、さあ、これからどういうルートをたどろうかと地図と財布を広げたところで・・「ん?予備費として封筒に入れていたはずのお金が…ない….」、「どかこで落とした?取られた?」とパニックになってしまいました。
そして、「もう帰るしかない。このまま函館に向かえばギリギリなんとかなりそうだが、本州から先の旅費がない!ヤバい!」となってしまったのです。思えば、既にそれまでにテント野宿も含め10泊しており、「旅はこれで十分楽しめたし..もういいか。あとは何とかして帰る方法を考えねば」とあきらめたのでした。
すっかりしょげてしまった私、とりあえずはご飯でもと思い、民宿の夕食会場で元気なく食事をとっていたのですが、近くに座っていた30歳代?の男性が、「元気ないようですが、どうされました?」と声をかけてくれました。
そして、私が困っている状況をお話したところ、「ああ、それはお困りですねー。私は20歳で北海道旅行して以来、すっかり北海道ファンでたびたび旅行してるんです。私がお金を貸すので、是非まだ北海道を楽しんでほしい。せっかく来たんだから、せめて、利尻、礼文島のどっちかは行った方がいい。」とおっしゃり、その分のお金を貸してくれたのでした。
私は、初めて触れる人の情に本当に心が温かくなりました。ましてや初対面なのに自分を信じて思ってくれる人の存在に涙が出そうになりました。若くて少し世の中に猜疑的だった私にとっては、こんな方もいるんだと貴重な体験となりました。
その夜は、その方と旅行談義、人生の話など色んな話で盛り上がって忘れられない日となりました。
またも…追いつめられて知る 人の情=愛!
元気を取り戻し、さあ、北海道を北上!目指すは礼文島!ということで鉄道、バスを乗り継ぎ、できる限り経費を節約ということで各駅停車の列車に軽い疲労感を覚えながらも、旅を愉しんでいました。
ところが、北部の音威子府村を過ぎたあたり、確か美深から中頓別あたり?だったと思いますが、うまく鉄道、バスのダイヤがつながらず、交通機関を全く使えない状況となりました。夏の終わり、冷夏だったこともあり、気温は17度前後、夕暮れ、おまけに冷たい土砂降りの雨も降りだしました。
宿泊施設もなく、どこかの庇下で野宿でもと考えましたが、近くにいた高齢の農夫の方は「とんでもねえべ。へたすりゃ熊も出っぞ!」と止められました。「しかたない..ヒッチハイクしかない」と心に決め道路脇に立ちましたが、1時間に1台通るかどうかという感じ。
(※ 当時、ヒッチハイクはアメリカ文化の影響か日本でも若者を中心にちょっとした流行となっていました。今では、犯罪予防の観点でも他人をいきなり乗せることは少ないのではないでしょうか。)
大きく手を振りながらヒッチハイクのポーズをとるも、行き過ぎるトラック、乗用車…. 本当にそういう時は”誰か気づいて!”と叫びたくもなります。
そんな時、小さな白い乗用車が目の前にスーッと止まりました。中から「どうぞ」と声が聞こえ、お礼を言いながら車に入りました。
車内には、若い夫婦、そして奥様の腕には生後間もないような可愛らしい赤ちゃんが眠っていました。(当時は、ベビーホルダーがなく親が抱っこして乗っていたんですね)
そんな中に、雨でびしょぬれになり靴にも泥がついている私を招き入れてくださったこのご夫婦に何ともいえない”大きな感謝”が湧き上がってきたことを覚えています。
ご主人は、「生まれた子どもを実家の親に見せに行った帰りなんです。ちょうどあなたが手を振るのが見えて。こんな山の中でもう夜だし、お困りだろうと思って。」と話してくださいました。何気にそのまま通り過ぎることもできるのに、相手のことを思いやってわざわざ乗せてくださった。またも、世間知らずだった私にとって”人を思う”ことの大切さが心に染みた瞬間でした。
こうした人の情けに触れながら、私はおかげさまで最後の礼文島まで15泊もの間、本当に素晴らしい北海道旅行を笑顔で満喫することができました。と同時に、自分の内面に向き合うばかりでなく、人や世の中に接することで自分を知ることができるんだということを知ることができました。
そして、時がたち、家族、子どもを持ち、多くの人と関わり色んな困難、歓びを経験するにつけ、共通するのは「人を思うこと」=”愛”の大切さを何度もかみしめています。
それにしても、”旅は人生そのもの”、”かわいい子には旅をさせよ” など「旅」にまつわる格言はたくさんありますが、旅は自分の知らない一面を発見できる良い機会になるでしょう。
さあ、皆さん、旅に出ましょう!!
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