仙人(ハリじぃ)との出会い
仙人といえば、中国の古い話に出てくる白髪白ひげの老人で、俗世を離れた山中に住み神通力を持つ謎めいた人というイメージだが、私が出会った仙人は、裏町の壊れそうな木造家屋で鍼灸院を営む老人だった。
30歳代になり初めてギックリ腰を体験した私は当時の仕事がハードだったこともあり、その後なかなか治る気配もなく、色んな治療を試していた。
そんな時、街裏の路地を歩いていると板壁の古い家屋の軒先に何やら風に揺れている物が目についた。よく見ると蒲鉾板のようなものに手書きで「はり・あんま」と書いてある。
戦後まもなく建てられたのではと思うくらい古びた家屋で正直怪しさも感じたが、逆に謎めいた雰囲気もあり治るのなら藁でもすがりたいという思いでその店に入った。
建て付けの悪い引き戸を ガタ、ガタと音を立てながら何とか店に入った。その途端、白髪白ひげの仙人顔の老人がヌーッと姿を見せた。そしてニカっと笑い、「ヘヘェー… いらっしゃいませェー!」と大声で出迎えるのであった。「ヘヘェー…」が何を意味するのかわからなかったが、「この店、大丈夫かな?」と一瞬不安がよぎった。
とまあ、裏町仙人との出会いはこんな感じだったが、その後、4年間そこに通うことになったのは治療効果はもちろんのこと、その治療院に日常生活とは異なる時空を超えた何かがあってそれに引き寄せられていたのかもしれない。私にとって“怪しい場所”が徐々に”居心地が良い空間“へと変わっていき、私の中で、”仙人風の鍼の老人”が→”鍼のおじいさん”→”ハリじぃ“と呼び名が短くなっていった。
ハリじぃのおしえ
ハリじぃは右目にわずかに視力が残っており、物を見る時は3cmほどに近づけ高く積まれた針の専門書、中医学の本をむさぼるように読んでいた。
とにかく勉強家で、針に関する質問をすると納得いくまで説明をし、更に治療時間が過ぎても色んな蘊蓄話をしてくれた。
「鍼って奥が深くてねェー。2000年以上前からね、病気をなんとか治せないかって挑み続けてだョー、そのひとつひとつを先人がズーッと書き伝えてくれてね、どんどん発展して今があるんだもんね。感謝感謝だよ。真面目に勉強しなきゃいかん。ウヮッハッハー。」
「あのねー、生きてること自体奇跡なのよ。奇跡には感謝せんといかん。奇跡を大切に生きんとね。ワシがこうして人様のお役に立っていることも奇跡だ!感謝、感謝、ウヮッハッハー。」
とにかく、「奇跡」と「感謝」のハリじぃだった。それと、ハリじぃの「ウヮッハッハー。」は、しぼりだすような低音の「ウ」から始まり、最後の「ハッハー」はかなり甲高い声になり、より一層 ”仙人感” を醸し出していた。
長く通っているとハリじぃは色んなことを話してくれた。自宅で生まれ低体重児で高熱も出て命を失いかけたが、母親と夜中に往診してくれた町医者のおかげで奇跡的に生き延びたことへの感謝、その後、障害が残りずっと自信が持てずにいた少年時代。養護学校を卒業後、自分の殻を破るため熊野古道や中山道を何十キロも一人で転びながら傷を負いながらも走破して初めて自分に自信が持てたこと、鍼灸の道を極め人の役に立ちたいと決意したこと、それから、自分は結婚しなかったが、弟世帯が貧しいので姪っ子の高校の学費を自分が出していること、日本のどこかで災害が起これば、その自治体に必ず義援金を送るようにしていることなど、私はそんな話を治療台に横たわりしんみりと聞きながら体と心を癒すのであった。
ハリじぃに冗談ぽく聞いたことがある。
「なぜ、そんなに人のために一生懸命されるんですか?稼いだお金をもっと自分のために使えばいいのに。」
ハリじぃはしばらく黙っていた。私は「仙人」に対しちょっと失礼なことを言ったかなあと少し後悔した。
ハリじぃはポツリと言った。「私も…辛い仕打ちを受けたり、バカにされたり…いろんなことありましたがね。そういう人のことはなかなか思い出せませんわ。どっちかというと、私を助けてくれたり、励ましてくれた人達の温かい顔、そういう人の顔はハッキリ覚えとるんです。だから私もそんな人になりたいと….。」
仙人は霞を食べて生きられる?
鍼灸院のほうは、お世辞にも儲けているとはいえない、どちらかといえば赤字の雰囲気が感じられた。
治療台の隣の部屋にちゃぶ台があり、そこにはよく菓子パンがおいてあった。一度、食事について尋ねてみたところ、「昼はいつもパンをちょこっと・・。夜はそこのスーパーの惣菜をちょっとかな。食べるより本を読みたいんでね。」と言う。
ハリじぃは食べることに関しては全く無頓着であった。一瞬、”そうか、仙人は霞を食って生きるっていうしなぁ”と妙に納得した。
ある日のこと、ハリじぃは青ざめた顔をして少しやせた感じがした。
理由を聞くと、数日前、ハリじぃの食事を心配した常連のお客さんが栄養をつけさせようとハリじぃを無理やり車に乗せて「特上のうな重」を御馳走したとのこと。
その帰宅後、ハリじぃは腹痛・下痢が続き、以来体調不良とのこと。
「いやー、特上のうな重なんて慣れないものを食べてね。私の胃袋もビックリしてね。コリャなんだって感じで。やっぱり私にはパンくらいが合っとるんですな・・・。自分らしい生活が一番。ウ、ハハッ・・・」と元気なく笑うハリじぃだった。
仙人が残したもの
通い始めて4年経った。―
普通なら月1~2回のペースで通っていたハリじぃの所だったが、その年の3月は仕事がたてこんでおり、異常に忙しくなり行けずじまいだった。早くハリじぃの異次元空間で身も心も癒されたいと、はやる気持ちを抑えいつもの路地裏へと道を曲がった。
と、しばらく歩いたが、ハリじぃの家がなかった。「ん?見落としたかな?」と、もう一度後戻りしてみた。
敷地が狭く初め気づかなかったが、ハリじぃの家は跡形もなく更地になっていた。
隣の方に尋ねるも、ハリじぃはの行方は全くわからないとのこと。ちょうど春風吹く頃で、”ハリじぃ、この風に乗って山にでも帰ったかな”とジョークっぽく思うことだった。
なぜか、頭の中は真っ白になっていた。
単に体の不調を治してくれた人というのではなく、自分の弱さを素直に話せる人、そして安心できる居場所を失った感じが大きかった。
それと、自分がこの4年間で体はもちろんのこと、心が穏やかになれたことのお礼が言えなかったことが残念だった。
また、相当たくさんのいい話を聞いてきたのに、それがスーッと頭から抜けるような感覚もあり、”ちゃんとメモしときゃよかったなー”と後悔した。
でも、忘れようもないのは、口癖だった「奇跡」、「感謝」だ。それと、いざ、苦しさがマックスになったら「ウヮッハッハー!」と豪快に笑い飛ばすしかない。”仙人の教えはこれくらいで十分”と思うことにした。
あれからだいぶ時が過ぎた。ハリじぃはもう存命ではないだろう。
きっと、本当の仙人になったのかもしれない。自分はまだ凡人。一歩でも仙人に近づけたらいいけど。
【 ココロに残る曲 ~ 生きていく現実と幸せのゆくえ 】
シャーリーン / 愛はかげろうのように
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