落語には、笑える話を中心とした「滑稽噺」と登場人物の情愛を描く「人情噺」というジャンルがあります。今日ご紹介する「うどん屋」は人情・悲哀も感じながら笑えるという意味ではどちらにも該当するかもしれません。人間同士の ”心の機微” がよーく伝わる作品ですので、是非、今日のお話におつき合いくださいね。
さて、「うどん屋」は柳家小さん三代ほか名演者が磨きをかけ現代に引き継いできた演目で、私の大好きな演目のひとつです。そして私には、「うどん屋」だったら柳家小三治で観たいというこだわりがあります。それは、小三治師匠の”淡々とした中にも人情がにじみ出るような語り口”に惹かれるところが大きいです。落語にはクセの強い人物が数多く出てきますが、その人物にスーッと入り込んで自然体で演じ分ける小三治師匠の噺はいつも安心して聴けます。この「うどん屋」では酔っ払いとの掛け合い場面で、”心の機微”を見事に演じている小三治師匠。さすがです。
落語「うどん屋」のツボは何といっても酔っ払い男
さて、この噺のだいたいの筋についてお話しします。主人公はうどん屋。寒~い夜に重~い屋台を引いて流しますがなかなか客がつきません。そこへ酔っぱらった男がやって来て屋台の火に手をかざし、時に水をおかわりしながら、長々と話をします。その話というのは….男夫婦には子供がおらず、隣の仕立て屋の娘”みぃ坊”を小さいころから我が子のようにかわいがってきた。そのみぃ坊が美しい娘に育ち十八で嫁ぐことになった。その当日、花嫁衣裳に身を包んだみぃ坊が両手をついて、「おじさん、さてこのたびは・・」と口上をはじめる。男は、「小さいころ青っぱなを垂らしてぴぃぴぃ泣いてたあの子が・・、こんなに立派になって・・」と感慨にふける。
そして、「みぃ坊が両手をついてよ…. 『おじさん,さて、このたびは、色々ご心配をいただきまして..』ってぇ… 『まことに…あ、ありがとうございました…』ってぇ言うんだよ….(涙を押しころして)ウッ…ヒッ、ヒ、ヒッヒー….めでてぇーやなあー、うどん屋ぁーー」と大声でうどん屋に共感を求めます。
うどん屋は低いトーンで「さぃでございますな。大変おめでとうございます。」と答えますが、この冷静な答えぶりが気に食わなかったのか、男は「おい、”大変”..ってえのはおかしくねぇか?」と返します。今度はうどん屋が「じゃ、おめでとうございます。」と答えたところ、「”じゃ” ってなあ、そんな薄情な言い方があるか~っ」という感じ怒ります。以降は、二人の感情が折り合うことなく場面は進みます。なぜか哀しさの中にも笑える部分があり、私はこの場面が一番好きです。
うどん屋としては、なんとかうどんを食べてくれないかなーという思いで男の話になんとかつき合いますが、最後、男の「オレはうどんは嫌いなんだょ!」の一言でガックリきます。その後は、屋台の場所を変えても、その日は儲けがなかなか上がらず、”商売=生きていく糧” の大変さを実感します。
概ねそんな感じで話は進んでいきますが、さすが小三治師匠、最後にひとりの客がうどんを食べるシーンも含め、終始味わい深く演じ切り、最後は秀逸なオチで締めます。
「誰かオレの気持ちを聴いてくれ~」という酔っ払い男のココロは
以下は、小三治師匠が演じた「うどん屋」を観ての自分なりの解釈と感想です。解釈などは観る人によって当然違うと思いますのでご容赦ください。
酔っ払い男はよほど純粋な人間で、本当にみぃ坊を我が子同様にかわいがっていたのでしょう。誰だってかわいい我が娘がアッという間に成長し嫁に行くとなればしんみりしますよね。そんな晩はお酒も進むかもしれません。そんな夜はサッとふて寝でもすればいいのでしょうが、誰かに胸の内を話さずにおられなかったのか、ふらふら市中をさまよってうどん屋の灯りにたどりついたわけです。
一方のうどん屋さん、寒さをこらえながらの仕事モード。「今日は、一杯でも多く食べてもらって儲けなきゃ!」と商売魂メラメラの状態で屋台で客を待ちます。そこにふらっと男が来た。来たはいいが、なんだか酔っぱらって足元もおぼつかない。よくは知らない ”みぃ坊”の嫁入り話を何度も何度も繰り返す。そして、うどんを食べないばかりか、暖まるための火をもっとおこせとか、水を要求するなどわがまま三昧。
でも、商売のために我慢したのでしょう、うどん屋はけっして酔っ払い男を追い払うことはしませんでした。本当は、「馬鹿野郎!うどん食わねえんなら とっとと帰りやがれー」なんて言いたかったかもしれません。いや、もしかしたらうどん屋も苦労人で、この酔っ払い男の哀しさを少しだけ理解していたのかのかもしれませんね。
以上、登場人物の心理状態を現代風に説明すると、” 酔っ払い男が寂しさを共感してくれる聴き手(カウンセラー)を探していたが、聴き手のうどん屋自身も「チクショー、うどんが売れない。どうしたらいいんだろう」と本気で悩んでいる状態だったのでカウンセリングが全く成立しなかった ” とでもなるのでしょうか。
こんなふうに、落語の登場人物の心理状態を読み取れば、長屋の熊さん、八っあん、与太郎といった連中の絡み合いも、より面白くなり味わいが増すのかもしれませんね。
柳家小三治の魅力について
柳家小三治は1939年生まれ。高校卒業後、柳家小さん師匠に弟子入り。1969年、17人抜きの抜擢で真打昇進、十代目柳家小三治を襲名します。5人きょうだい唯一の男の子で、校長先生だったお父様、少々気の強いところがあったお母様の教育のもと、良い成績を残さなければというプレッシャーがあったようで、そうしたものに反発するかの如く演芸等に強く興味を持ちました。中でも落語については、中学校の卒業式の謝恩会で落語を披露、また、高校3年生の時はラジオのしろうと寄席に出て勝ち抜くなど、その能力ぶりを早くから発揮していました。
でも入門後の小三治さんは、プロとしての壁にぶち当たることもたくさんあったようで、ネタを覚えるのが同期の噺家より遅いのではないかとか、小さん師匠から「おまえの噺はおもしろくねえな」と言われたりと、悩みは尽きなかったようです。
私は冒頭で、小三治師匠が ”登場人物にスーッと入り込んで演じている” すごさを感じるとお話したのですが、小三治師匠の自伝「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」(岩波書店)にはこのようなことが書かれています。
登場人物の心持ちに、すっかり沿えないと、せりふは出てこないんです。むなしいせりふは言えない。性格ですかねえ。せりふではなくて、それぞれ出てくる人の気持ちにならないと、おぼえられない。その人とその人の関係、家族関係、いろんな関係がありますけど、そういうものがないと、おぼえられない。
【引用元】「どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝」(岩波書店)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%8A%E8%A9%B1%E3%81%97%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8B-%E6%9F%B3%E5%AE%B6%E5%B0%8F%E4%B8%89%E6%B2%BB%E8%87%AA%E4%BC%9D-%E6%9F%B3%E5%AE%B6-%E5%B0%8F%E4%B8%89%E6%B2%BB/dp/4000613790
小三治師匠は、幼い日に感動した落語の面白さをそのままお客様に伝えたくて、自分なりの技法を磨き黙々と努力を重ねてきたのだと思います。”自然体”で演じられる小三治師匠の魅力。それは、きっと” 登場人物の心持ちに沿う” そのココロが活きているのだと思います。
小三治師匠、まだまだ味わい深いお噺をお聴きしたかったですが…… 今頃は天国でしみじみ訥々とした語り口で周りを笑わせていることでしょう。
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